他機種への移植 IBM

マイツールをリコー以外の機械でも利用できるようオープンにしろという声は、ずっと続いていたわけですが、我々がマイツールの販売促進の戦略を考えていた最初からクローズでいくなどという方針は、決して立てていませんでした。

PIPSがマイナーであるのはSORDが自社機のみで展開したからである。 マイツールの普及拡販を狙うために他社機移植を積極的に進める。ということは昔の販売政策の資料にもはっきり書いてあることです。

1985年 始めての移植

他社機へのマイツールの移植が最初に行われたのは、IBM5550用に85年の6月からでした。 これは安田火災海上へ大手担当の部署がマイツールをデモしたことから始まりました。

安田火災のIBM機に

安田火災では全社の事務改善のため統一したソフトを考えており、そのころ色々出ていた簡易言語を評価していたところでした。 そして適当なものが見つからないので、自社で開発しようと考えていたところだったのです。 そこに丁度マイツールが紹介されたわけです。

安田火災の担当者が色々評価し、これなら要望を満たしてくれそうだ、ぜひ使いたいとなったわけです。 ところが安田火災では、全社の端末用にIBM5550がすでに導入されており、関係会社がIBMの代理店にまでなっていて、ハードは5550を変えられないと言っている、どうにかならないかと私のところに話がきたのです。

営業と何回か話を聞きに行き、我々もやりたいと考えていたことですので移植しましょうとなったのです。 そのころから損保業界というのは事務改善が進んでいて、基幹業務についてはオンラインでやられていて、何もする必要がなかったのですが、各地の営業所などではホストで統一してやるには効率が悪い業務が結構あって、毎月手作業でやらなくてはならなかったのです。 これらの業務用にマイツールを使いたいというのが要望でした。

この時は単に5550用にそのままソフトを移植するというのでなく、安田火災用に色々変更を加えました。 例えば安田火災では書類の大きさがすべて統一されていて、キャビネットからファイルのバインダーにいたるまですべて特注で作られているのです。 そこでマイツールの1ページもそれにあわせた大きさにしたとか色々細かいところで安田火災専用としたのです。

サポートとマニュアル

我々がこの話にのった大きな理由は、サポートに関して、全国の安田火災の営業所が各地のリコーの販社に要求をするのでなく、もし必要な場合は本社の決まった窓口を通して我々に行う、という方向になったからです。 そうしないと各地のリコー販社ではIBMのマシンもなく、問い合わせがきても対応できなくて、マイツールのコンセプトである 「使えるまでサポートもちゃんと行います」 というのが守れなくなるからでした。

それと 「マニュアルをそれ用に作らなくても結構です」 というのも大きな理由でしたね。 マニュアル作成は金もかかって大変なんですよね。
これも安田火災が本社にしっかりとした部署があり、そこが全国のコンピュータによる事務処理を統括していたからできた事です。

250セット納入

移植は11月に終わり12月には最初の50セットを納入しました。
ところで性能ですが、マイツールの1画面表示に、SPでは0.85秒、それが5550では3.08秒、安田火災ではこれでも思ったより早いと言ってたんですよ。 それだけSPのほうが性能が良かったわけです。
69ページのソートでSPで17分、5550で30分、これも5550のマルチプランよりいいと言ってました。

それから次の年86年の秋頃までに200セット納入しました。 これらで大体XXXX万円いただきましたけどね。

これで終わりになったわけでなく、その後も結構何本かまとめて注文が入りました。 だからリコー以外でマイツールを一番使っていた会社は、安田火災さんでした。(最後だけ、「さん」 をつけちゃった

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