1985年 マウス対応

SP250を出した84年の秋くらいから徐々に、マイツールが順調に売れ出していきました。
 

マイツールのシリーズ化

当時パソコン各社は春と秋の大きなショーにあわせ、新製品を出すのが普通になっていました。 我々も次の機種をどうしようか日立と検討していましたが、何せ1機種ではあまりに寂しい。 上位機種と下位機種を揃えシリーズ化しようという話になりました。
そこでハードディスクを付けた高級機のSP350、より安い価格設定のSP150と、SP250の後継のSP250Uの、3機種を用意する事になりました。

無理にシリーズ化して機種を増やそうとハード主体に考えた計画だったので、これは私たちマイツールソフトの開発部隊には非常な負担となりました。

マウスをつけようとなったので、当然マイツールでマウスをサポートしなくてはならないし、安いSP150では前のSP200より少ない256KBのメモリーしかなく、それで動く簡易マイツールを作らなくてはならないし、SP350ではハードディスク対応にしなくてはいけない。
おまけにディスプレイが高密度になったので、表示を多くするようにもする必要があるという具合です。

マウスのサポート

マウスをサポートしたソフトは、その頃日本ではまだどこも出してなかったと思います。 参考にするのはMac関連のソフトだけでしたね。

長谷川さんが言っていたのがグリッド・アイコンという考えでした。
これはマウスのカーソルのある所で、タブレットのように小さく区切られた枠を表示し、その中にコマンドアイコンを表示し、それをクリックしてコマンドを選択するというアイデアでした。 今のウィンドウソフトの右クリックで出てくるようなものと考えていいでしょう。

これは結局採用しなかったのです。

時代に先行し過ぎて

なにしろDOSの時代ですから表示文字の大きさは決まっているし、コマンドをそんな枠に表示させると画面全部がグリッドアイコンになってしまい、表が見えなくなっちゃうというのが第1の要因でしたね。

コマンドの表示を絵にしたら小さくてすむのではというので、デザイナーにイラストを考えさせたりしたんだけど、見ただけでマイツールのコマンドが連想できるような満足行くのが出来なかったという理由もありますね。
それにユーザーさんからの電話による質問に対応しているインストから、「何々の絵の部分を押して下さいなどと言っても理解されそうにない、読むとかREADとか書いてある場所をと言った方がいい」 という意見もありました。

いろいろな理由があって、結局メニューバー方式のコマンドをそのまま表示させるようになったのです。
それにしてもマウスがリコーに入ってきたのが85年2月、それで6月に商品化したのだから考えられないほど短期間で開発したのです。

ハードディスク対応

SP350のハードディスクも大変でしたね。
オフコンのハードディスクがユーザーの間違いで壊れてしまい復旧に大変な思いをしたことのある人などが、パソコンなんてどんな使われかたするか分からない、ファイル管理をちゃんとしないと危険だ。 マイツールユーザーにもその辺を強く言って、なるべくならディスクを使わないようにさせよう、なんて意見もあったりしてね。
バックアップの事はセールスに徹底して言わせようとなったんだけど、今ではそんなの気にしてる人はいないですね。 ほんとうはそのとおりなんだけど。

簡易版マイツール

SP150の簡易マイツールをどうするか、というのも問題でした。
コマンドはメモリーの関係で少なくしなくてはならないんだけど、どのコマンド削ってどれを残すかで、これまた意見がまとまらなくてね。
制限した中で一番大きいのは、オートプログラムが使えないというところかな。

このようにしてマイツールV2はタイプA,B,Cの3種類になって、価格もそれぞれ違えたんだけど、結局制限付きのAタイプSP150は売れ行きが悪くダメでしたね。
SP150II SP250II SP350II 上に戻る
仕様書 156KB 仕様書 82KB 仕様書 148KB  

次のページ{V2の機能 」を見る
前のページに戻る
戻る